先日は看護師さんと、自律神経失調症論議。
看護師さん『私も自律神経失調症なんじゃ無いかしら~』
自分『自律神経が、まともなら頭痛も起きないですからね~』
看護師さんだからこそ解る。
今の時代、自律神経がまともな人の方が少ない。
と言うかまともな人は居ない。
※自律神経がまともなら、太陽が沈んだら眠くなる。日の出で起きる。食べたらすぐに排便を催す。動物と同じようなものです。
だから、誰にでも当てはまる病名。
なので、西洋医学では、病名として当てにならないし、治療も当てにならないし、果たして治るの?訳が分からない疾患。
自分的に問題は左脳で考えるから。
数の暴力、多数派意見に流され、理屈、理論が先に来ないと受け入れる事が苦手な人が陥りやすいと言うか、どハマりしてます。
ロジックな人?
さて、目に見えない物ほど大事です。
それを、ロジックに説明出来るほど、突き詰めれば、かなり症状は軽減します。
が、目に見えない物は、受け入れ無いなら、ロジックな対処療法の繰り返しパターンが多い様に思います。
ハマりやすい方が忘れている事が、命。愛。とか、そんな感じです。
戦後高度成長の中で、愛の伝承が減りました。
親殺し。子供殺し。
生き様、命、輪廻転生も衰退してます。
愛とはとても難しいテーマですが、愛を語れるようになったら、治癒も近いのではないかなと思ったりします。
愛の一つのカタチが、全てを受け入れられ愛される事だと思います。
鏡の法則で言えば、愛が無いのは、お互いサマの現象。
コレを読んだ人から、愛する事をはじめれば、水に落ちた水滴の様に広がり自分に戻ります。
その波紋は自分に戻ります。
さて、我々の団塊世代ジュニアには、時代背景も合間って、親に洗脳されているかもしれない部分が有ります。
お金や権力を安定を得る事が勝ち組。
それが無い人が負け組。
コレは「力」を主に置くのなら間違い有りませんが、魂を考えた時、「愛」を考えない生き方が負け組みです。
そもそも、勝ち負け思考が頂けませんが・・・。
ゲームや遊びなら、まだしも・・・。
人生に勝ち負けなど無いように思います。
今日、私の考える勝ち組の方が来院されましたよ。
78歳。
結婚して
自分の両親の自宅介護そして見送り。
旦那さんの両親の自宅介護そして見送り。
50歳の無職の息子さんと、認知症の旦那さんの介護。
先日、妹さんが先立たれ。
悲しみ。
あちこちの痛み。介護の為に治療に来られています。
笑顔で、感謝を頂きお帰りになりました。
今の時代、臨終と言う大事な時に立ち会わない人が多い。
自分も含めなのですが・・・。
しかし、自分が年老いて弱ったとき、最後の別れの瞬間、自分は一人で終わる想像はしていない。
だから、それを創造する生き方を考える必要が有ると思う。
「力」と「臨終」
貴方自身にとって、どちらが大事なのか?
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