鍼灸でうつの方と向き合っていると、脱皮する瞬間に出会う事がたまに有ります。
ちなみに、当院に通っていない方は読むに耐えがたいブログですので、パスお願いします。
鬱も、いくつも多種多様に有ります。
体調が起因の物。
精神面が起因の物。
双方に影響が有る物で、一見同じように、一緒に見えるが、起因が違えば、根本が違うのである。
さて、脱皮する瞬間とは、オープンマインド?自我の覚醒?開き直り?などで
かなり、強い人間に変貌する。
大企業で一気に出世された方、辞めた方、起業して成功される方も居る。
この方々は、一見開き直った?と感じるほどの強さを感じるのです・・・。
しかし、その奥底に有る物の一つが
死を覚悟し、生きる決意をした。と言う事だと私は思ったりします。
私の中で、死は、極端に言えば、葉が枯れていく事となんら変わりは無い。
自然現象で有る事は当然である。
しかし、私の覚悟は、まだお子ちゃまです。
愛すべきもの死。自分の死。どれも想像はするものの、本気の覚悟など無いのである。
だから、まだまだ、遠慮をする。
昔、日本に来ている20歳カンボジアの患者さんを治療していました。
20歳で、小学生と幼児の親でした。
ものごころついた頃には銃を持ち。
人殺した経験を持つ方でした。
悟りの境地の一つに、どんな事が起きようとも動じない心が有ります。
まさに彼の眼には、それが有りました。
よく言いますが、生と死も表裏一体です。
死を覚悟している人は、強く生きる事が出来ます。
強く生きたいと言う事は、死を覚悟する事でも有ります。
私が書く事を強烈と思う方や卑下される方も居ると思います。
その方が、覚悟が出来ている方で有れば慎んでお聞きします・・・。
が
自分の保身、将来の安定、陰でコソコソ、であれば、残念ですが、無視します。
結局は、我々は、土から生まれ、土に返る。
覚悟が有る方が、人生は良い物であろう。
そう自分に言い聞かせてます。