こんにちは。
佐々木です。
世の中に病気の種類・名前というのは山ほどあって、
同じ原因であっても所変われば名前も変わる。
症状が違う場合でも名前は変わる。
原因が解らなくても症状だけでも名前が付きます。
そんな中で原因が解らなくて治しづらいものを難病と言ったりします。
西洋医学にも良い部分はあるかと思いますが、
こういった話になると疑問に思う部分がいくつか出てきます。
まず症状しか診ていないこと。症状の部位しか診ていないこと。
木を見て森を見ずってやつですね。
植物なんかを育てると解るかと思いますが、
葉っぱの色が悪くなってきた。
では葉っぱに問題があるのか。
そういう場合もありますが、大概は違いますよね。
では葉っぱが生えている茎や枝や幹に問題があるのか。
さっきよりは少し確率が上がりますが、もっと原因になりえる部分があります。
そうなると次は根っこでしょうか。
根っこも怪しいですよね。
傷ついてるのか腐っちゃってるのか、どちらにしろ可能性は中くらいでしょうか。
更に考えると根っこを覆う土はどうでしょうか?
土の良し悪しは植物を育てる上では大きい存在です。
もういっちょ言うならそもそもその植物にそこの環境が適しているのか。
こんな話になってきます。
土は人間で例えるなら食べ物で、環境はズバリ環境ですが、
こういった部分が疎かになっている節があります。
正直に言ってしまうと、
多分患者さん自身もその部分を認めたくない、考えたくないと思ってる節があります。
そりゃ今までの積み上げてきた物がまるっとでは無いにしろ否定される訳ですから、
良い気分ではないかと思います。
否定する側もそう易々と否定出来る訳ではありません。
治す事を優先すると否定しなきゃどうにもならない部分が出てくるからこそなんです。
少し言い訳がましいですが、
治す事を優先して考えて頂けたら納得して頂けることも増えるかと思います。
「今までこれでやってきた。」
それは間違いないと思います。
でも、だからこそ。ってこともございます。
新しい選択肢が出た、知らなかった世界がまだあった、
自分の世界を広げるチャンスかもと思って一度考えて頂けたらこちらも嬉しいです。
で、今までのいわゆる常識と呼ばれる様な部分に固執しているのが何となく西洋医学には存在します。
この病気にはこの薬が効くと言われているから処方する。
結果がダメならそれに近い代替品でどうにかする。
では、それでもダメなら?という部分まではどうも診ていない気がします。
常識というのは簡単に言えば多数派意見。
多数派意見というのは必ずしも正しいのか?
答えはノーですよね。
そんな場面はいくらでも見てきているかと思います。
行き詰っているのであれば、一回そういった側から外れてみることも必要になってきます。
少数派っていうのも悪くないですよ。