昨日は、以前にもお話した。
耳鳴り・めまいを克服された方が来られました。
三日おきに、一時間、心拍数120をキープして走り続ける。
それを3ヶ月続けた患者さんは、見事に良い状態を手に入れた。
しかし、又怪しい感じや首の痛みで来院してくれました。
メニエールと言われたり、ストレートネックと言われたり、頚椎のズレが原因と言われたり。
難病と思われるこの疾患。
運動を続けられた事に、感動し鳥肌物でした。
病院や治療院を転々とされる事。
遠方まで出向く、運動を実践できる行動力。
大学生までアメフトを続けていたから出来たとおっしゃってました。
おおよそ、このレベルの人だとある程度の運動生理学も知っているので、マニアックな話を理解できるのも治療家から見える大きな違いです。
一般論に流されすぎない。
みんなが、良いと言うとか、一般的にこうだとか、世論より自分の知識の中で本当に正しいと感じられる物を選ぶ。
自分の経験で体で知識で、何が良いか悪いか、知っていそうです。
そして、何より、治したい気持ちが疾患に勝ったのだと思います。
膝やヘルニア・シンスプリント・コンパートメント・ルーズショルダー・自律神経失調症・パニック障害。
当院の患者さんでも、難治性の疾患を克服する人の気持ちの強さに感動を覚える時があります。
大抵の人が出来ない事が出来る。
凄いことです。
自分は、スノーボードに夢中になっていた時がありました。
山で暮らし海外でも滑って大会にも多少出ていました。
6年ほど続けていました。
しかし、肩の脱臼癖であきらめました。
色々な病院や治療院も回った。
千代の富士が脱臼癖と戦う為に毎日、腕立てを1000回していると聞けば腕立てを1000回した。
それでも肩は外れました。
(その後、医療は発展し脱臼やルーズショルダーに腕立ては良く無い事を知りました。)
でも、今思えば、難治性の疾患を治せる人達と自分を比較すると、気持ちでまだまだ、負けていました。
頑張れる人は沢山いました。
こういう精神力も無いのですからプロになれるわけも無いです。
治らないと嘆き、いじけて、あきらめた。
行動力が無かった。
(今でこそ、自分で勉強をして、脱臼癖やルーズショルダーも克服しましたが・・・)
ある人に、昔、言われた言葉が今でも心に残っている言葉があります。
「僕は、君を認めない。」
「途中でスノーボードを辞めたから。」
「意地でも続けていれば認めようもあるが、君は投げ捨てたんだ。」
「認めようが無い。」
社会的に立派な人で、大きな組織でトップに立っている人でした。
痛烈に心に刺さりました。
今日も、取り返しの付かない故障について、患者さんと話しました。
その方は、克服した人です。
「あきらめるのは、簡単。」
「続けるか、やめるか、決めるのは自分。」
まさに、その通りです。
そして、車椅子テニスをみて自分が情けなく思った事もあるとか・・・。
この言葉に自分も思い出しました。
自分も以前、大きなリハビリセンターで、研修した時、膝から下を失った人が夢中で運動をしている姿。
失明した人が笑いながら、仕事を覚える姿、車椅子でバスケをする姿を見て
今まで自分が嘆いてきた姿を帳消しにしたいほどの恥ずかしさに襲われた事があります。
嘆くには、あまりにも早すぎた気がしました。
ああだ、こうだ、言い訳をして、昔に未練を残し、かっこ悪い自分に気づかされる瞬間でした。
そんなこんなで、患者さんには、故障を克服してほしいと自分勝手に強く思ってしまうこともあります。
頑張れば克服できてしまう人もいて、克服する人、しない人で、人生は大きく変わります。
でも、患者さん自身が決めることで、自分が決める事でも無いです。
こういう業界で働くと、実際は本気で治したい人は極わずかであると言うデーターが有ります。
治したいと思うことも治療家のエゴだと言う経営者もいます。
自分もそうだと思う時もあります。
でも、治すから治療家なんだとも思います。
そんなこんなで、強い患者さんに感化される昨日今日でした。