今日は年単位のお付き合いの患者さんが病院の先生に、これだけ良くなった事を喜んだ方が良いのでは?と言われた話をお聞きしました。
すごく、良い事に気がつかれた様に思います。
はじめにお会いした時とは別人ですから
家でも車椅子。
当院に来ても、専用の内履き。
それが、今は、歩き、自転車に乗ったり、ヨガに行ってる訳です。
治療院の前の駐車場を開けてなくて、車が止められないで、怒られた事も最近のようです。
それでも、「今日は、どうでしょうか?」と聞くと症状はいくらでも出てきます。
難しい疾患ともなれば、こう言う状態で有る事も解ります。
膝の治療など解りやすいのですが、階段が登り降り出来る様になって、大喜びする人もいれば。
まだ、階段を上り下り出来ても、痛いですだけを伝えてくる方も居ます。
この感性の違いは、豊かさを圧倒的に変えます。
出来ない事が出来る様になる喜びを感じない人は、ある意味、満たさません。
文化放送は早朝色々な宗教の説法が流れてたりするのですが、先日も前から知っている一つの説法が聞こえてきました。
最高の悟りの始まりは、どん底のどん底を、知る事からはじまる。
どん底を知らない人に、長く、冷たい、真っ暗闇に入る一筋の温かい光のありがたみを知る事は出来ない。と言う話でした。
と言う事で、自分が言ってしまったひどい一言。
つらい時期が短すぎましたかね?
と言いつつも、素晴らしい方です。
自分が競技者の方に状態の日記をつける事を進めるきっかけになった方です。
毎日の状態、メニュー、どれだけ歩けるようになったのかなど、出来る人なんです。
それが、今の状態を作ってます。
自分はフォローしてるだけです。
日記を書く。
ヨガを進める。
実際行動できる人は極々一部です。
出来る人は、素晴らしすぎます。
出来ない人が普通ですから、出来なくても気にしなくて良いです。
海外で防弾ガラスの車に乗っていたらしいですから、元気な時なら縁もゆかりも無かったのかもしれません。
本当に鍼灸師になってから、世の中で言う凄い人との縁が増え、不思議な感じです。