毎度ですが、久しぶりに行くサーフィンは簡単では有りません。
言うはたやすく。
行うは難しく。
でも楽しいので
良い仕事、良い環境づくりには
良い趣味が必要だな~。
そして、一人旅をしてた私のようなタイプは
一人の時間も必要。
どう振る舞っても、自分勝手に見えるでしょうが・・・。
最大限に気を配ってる時も有るんですね~。
でも、それって、本来もっとワガママな私としては、疲れるんです。
なので気を配り続けた日々から
一人になる瞬間にホッとしてしまいます。
そして、あるハプニングに遭遇。
差し出せる物は、どんどん差し出せ。を、思い出しました。
知らない人が、忘れ物したようで…。
海に入れなかった様子。
チャンス到来で、勇気を出して話しかけ、差し上げました。
嬉しそうで・・・。
こちらも嬉しい気持ちになれました。
そして
海から上がると
知らない、おじいちゃんに話かけられた。
おじいさん。「海の水は冷たいかい?」
私。「ま~だちょっと冷たいデスね!」
おじいさん。「冷たいよな~」
「風が冷たい」
「昨日の夜は、寒かったよな~」
「あんまりの寒さに、冬布団引っ張り出してきて寝たよ~」
そこから10分ほど天気や気温の話をした。
仕事がら、このおじいちゃんは、病み上がりか?何かしらの疾患を抱えてるように見えた。
健やかでは無かった。
80歳前後かな…。
話終え。
その場を離れ。
私が着替え終わる頃に、後ろに車が止まり。
振り返ると、おじいちゃんが笑顔で手を上げて来た。
私も笑顔で会釈を返す。
何となくニュージーやオーストラリアにいた頃を思い出した。
向こうでは、知らない人でも笑顔でハーイ!と挨拶をくれる。
挨拶は無くても、笑顔でいる人が多い。
これが日本に帰ってくると、当たりまえだが、みんな無表情だ。
笑顔で居ると、ニヤニヤ気持ち悪いように見られる。
若い時は、そんな外国かぶれな、私は、みんな、どう思われるか?を心配して無表情にしているように見えた。
腕組みをして、自分を隠し、何がそんなに怖いのか?とか、生意気な事を想像していた。
でも、今日は違った。
思い出した。
娘が出来て
子供や赤ちゃんを連れていると、世の中の大人が非常に優しい事に気が付く。
目つきの悪い私一人だと、今まで誰も声などかけては来なかったが
娘と一緒だと
人の対応が全く異なる。
本当に鏡だと思いだした。
優しく接せられると、人は、もっと優しくしてしまう。
良い考えや行動になる。
けど、目つきが悪いだけで、敬遠されると、もっと敬遠してしまう。
ここに、病原を考えた。
病原は、なにも形ある物ばかりでも無い。
言葉とか、態度とか、そんな物も立派な病原です。
貴方はクズ。もっとクズになろうとする。
貴方は素晴らしい。もっと素晴らしくなろうとする。
貴方の事が大好き。もっと好かれるようになろうとする。
何となく、おじいちゃんの半生を妄想した…。
おじいちゃんも、青年期、幼少期といろいろなかなを生きたんだろうな~。
上手くいげば、私もおじいちゃんになるかもしれない。
見ず知らずの若者に、海は冷たいかい?と聞くのかもしれない。
どんな感じなんだろう?
たまに、思う事が
自分自身の死を想像しておかないと、生き方がズレてくるから、たまに想像する事は良いことだと思ってます。
なかなか上手くは行きませんが、明日死んでも良いように生きる。
死を理解することで生の質が上がるとか・・・。
そんな話もあります。
私も必ず死ぬ。
事故だろうか?
余命は知りえるだろうか?
生まれた以上必ず死ぬ。
それは特別な事では無い。
100%の確率で死ぬ。
自然現象の一つ。
私は無宗教デスが、生まれ変わり。
天国や地獄は、形は違えど、有る物と思ってます。
なので、今までの旅立ちに似ているように思ってます。
別れを告げられる人もいたし、突然会えなくなった人も居る。
別れ。
ネガティブかもしれませんが…。
死生観は、案外大切だと思ってます。
出来るだけいつ死んでも後悔の少ない日々を過ごしたいモノです。
それでは、良き一日を!!
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