上げよっかな~。
って時に、ドスドスと重い話が舞い降りてくる昨今です。
友人、知人が大変苦しんでいる。
苦しみの中に得られるものも大きい。
事故に合い、高次機能障害
入院リハビリをしていたようである。
先日も、そんな元同僚は「入院生活を面白かったですよ~」と話してくれた。
実に素晴らしい一言である。
小さな子供を抱え、泣き言を言いだせば底など無い状況でも
笑える明るい口調で話す。
チャクラ全開なのかな?
私は凄い知人を持っている事を少し誇らしく思う反面・・・。
ちょっと心配しそうになった。
それはダメだ。
素晴らしい復活をとげるに違いない。
さて、私は20歳で歩けなくなると中学生で診断を受けた。
背骨は奇形である。
足が長い訳では無く。
背骨が奇形して胴が短い。
さて、色々な価値観が有りますが
私の場合
同情されると
お前は、俺を、見下げてんのか?って思うタイプです。
と言う事で
友人が苦しんでいる時に同情するのは下手です。
同情したら
そんな自分をどんだけだ?と思ってしまう。
マジか?マジキツイな!ツレェーな!と共感するだけである。
可愛そうな人などとは決して思わない。
何となくだが、同情が得意な人にあまり良い印象は無い。
どちらかと言えば、差別、権威主義的な人に多い。
陽極では無く、陰極な人が多い。
陰は重く。陽は軽いから。
どちらかと言えば、陰に降りる方が楽に思う。
印象として
陽は、前向きで、努力的。
陰は、無行動。
そんな事を調べていると
仏教的に、同情とは、同じ状態になる事らしく。
相手が不幸と思う暮らしなら
自分も不幸と思う暮らしになる。
事のようで
同情は、優しさでも何でもない。
そんな話に少し納得しました。
結局は、鏡の法則。類友の波長類似。そして引き寄せの法則である。
結果
基本的には、その人の素晴らしき瞬間に戻るように待つスタンスだったりしたりします。
そう思う方が、おおよそ、その人もそうなる。
その人が
どんなに不平不満、妬み嫉み、愚痴を言おうとも
本当は、そうでは無い。尊敬できる素晴らしい人だ。
と信じる事が業務だと思っている。
そして・・・。
距離が近いほどに、それを疑わなくてはいけないほどになる事も有る。
そんな時は離れる。
そうすると
その人は、私にとって、もっとも尊敬できる状態で残る。
そんな人の幸せを普通に願える。
そんな冷たい私に悲しむ人も居る事でしょうが・・・。
好きである部分だけの思い出が良いのです。
誰しも善悪内包していると思います。
私は、その人の善だけ見えれば良いです。
それも自然の摂理、子供であれば当たり前の世界感なんです。
好きか?
嫌いか?
だけです。
さて
さて
皆さんにお願いがございます。
タオルを準備して
飲み物を口に含んだ状態で
以下の動画を、ご覧ください。
ちょっと楽しい1日なるかもです。
( ̄▽ ̄)
ありがとうございます。