おはようございます。
佐々木です。
朝はさっさか外掃除をしているのですが、
面白いなぁと思った事が一つ。
よくある話と言えばよくある話なのですが、
タバコのポイ捨てっていうのが集団心理(?)みたいなのをよく表しているなぁと。
ということでよく聞く話からいきますと、
例えば公衆トイレ。
きっと何回か利用した事があるかと思いますが、
公衆トイレというのはやたら汚い所とすごい綺麗な所がありますよね。
その違いって何なのでしょうか。
単純に掃除が行われているかいないか。
それはそうなんですが、元々の状態が問題になってくるわけですね。
汚い状態を見てしまえば、
「元々汚いからまあいっか。」
と雑に扱ったり、多少汚しても知らん顔、といった感じになりやすくなります。
逆に綺麗であれば、
「綺麗だから自分も綺麗に使おう。」
といった感じに、状態をキープしようとするわけです。
つまり、知らぬ間に周りがどうしているかによって、
自分の行動もちょこっとづつ変わっているわけですね。
勿論全員が全員とは言いません。
けど相当数がそんな感じだとは思っています。
ここで話は戻りますが、
朝外掃除をしているとタバコのポイ捨てもあるのですが、
普段通りに毎回掃除していれば、大体二日に1本ぐらいしかポイ捨てはされていません。
ところがほんの少し休むと、いきなり5本6本捨てられていたりします。
ちなみにそれぞれ違う銘柄で、いつも見る1本は大体同じ銘柄です。
ココからは憶測でしかありませんが、
まずいつもの1本が捨てられていて、
それを見た喫煙者が心の奥底で
「ここに吸殻あるし一緒に捨てちゃってもいっか。」
といった形で次々と連鎖が起きていったのだと思います。
別にそれがモラル的にどうこうとかっていうのはどっちでもいいのですが、
その画が少し面白いなぁと。
そしてこれは治療の選択にも通ずるものがあるとも思ったのです。
「皆この病気ならこういう治療してるから自分も。」
特に意識なんてしてないんだと思います。吸殻も然りです。
周りがなんとなくやっていることに対して、自分もなんとなくやっている。
それがワーッと伝播していって、いつの間にか普通になっている。
でも普通って実際の所、内容は良いの?
良ければいいけど、そうでないのに普通でいいの?
自分の中でそんな光景とかなりリンクしたんですね。
アイデンティティがなんだと言われているご時世ですが、
そんなもの形成するものでもなんでも無くて、
元々持っているもので、いつの間にか忘れ去られて失っているだけです。
思い出すのが簡単とは言いませんが、一からやり直す必要はないと思っています。
小さなことから自分の意識で行動を起こしてみれたら、
色々な物の普通に対して見る目が変わってくるのではないのでしょうか。
まずは手始めに、当院の前でポイ捨てされたタバコを見つけたら拾ってくれるとか。
ワタクシ トテモ ヨロコビマス。
冗談です。
話は少し逸れましたが、こんな話もたまにはいかがでしょうか。
最後までどうもありがとうございました。