恐縮です。
竹前です。
先日
神社に行って
死生観を思い出しました。
人は必ず死ぬし。
自分も必ず死ぬ。
過去や未来ばかり見てる人は、今現在が薄い。
死体を多く見る国の人は
自我がしっかりしてて
仕方ない。なんてワードはそれほど使わないそうです。
死体は鳥に食べさせる国もある。
小野小町も自分が死んだら犬に喰わせてやれと言ってたそうです。
死を単純に、マイナス、暗い。
と考える人は多いけど
死を意識して理解してる人の方が
生も意識して生きている印象が強い。
本当の意味の、幸福とか愛とかを考えてるし。
質を考え、無駄を嫌うイメージがある。
死ぬ時に笑って終わるには
今をどう生きて
どう選ぶか?
自分の中の経験や思考から生み出される。
倫理や正義を大切にしなくちゃいけないと思うし。
一方で、喜怒哀楽は魂の声だから、その声に素直に応える努力も大切にしなくちゃと思う。
理性が感情を殺しすぎても
自分に嘘をつくことになるし。
感情の声だけに生きる人は、人を傷つけてしまうこともあるし。
もっとも自分が傷つく。
こう言う点でもバランスが大切に思う。
死ぬ時に
後悔の無い生き方をしなくちゃいけないと思う。
治療する側として
そう言う事です。と思う事もあります。
治す事が全てでは無い。と思ったりもします。
いつも言うように
心身は、人生の基礎、基盤。
目的地へ向かう車のような物だけど
壊れても
突っ走り続けても良いし。
治しても良い。
ただ、普通の人?
病んじゃう人?は、そう言う事実を忘れてるか?誰がが教えてくれなかった?そんな印象でもある。
心身が無くては
そこに行けない。って見える。
けど、知らないから仕方が無い。
正直、考えるほどに、私にはどちらでも良い事であり。
治すか?治さないか?を決めるのは本人の問題。
ただ、自分は治すほうが良いと思うから
そう伝えますけど
生きるお金も必要だけど
お金の為に生きる事は
いささか疑問にも思うし。
大先生が言う。銭取塩梅、死に塩梅。
※お金の為に短命になる事。
財を得んとすれば兎角失うもの多くなりけり。
※お金と引き換えに、志、愛、幸福を失う事。
と言う話もよく分かる。
お金は、必要だけど、主役では無い。
主役は経験に思う。
コレも良く言いますが
死ぬ覚悟はいらない。
大切なのは
生きる覚悟。
そう言う人は特に、自由に
生きる覚悟。が大切に思う。
自由に生きた経験がある人は
知ってると思いますが
本当の自由は、取捨選択の連続で責任が伴う。
死にたい。は、自由に生きたい。
の裏返しに聞こえる。
自由に生きられないから
死にたくなる。
そもそも、意識は自由なはずです。
後は、自由に生きる覚悟。
そう言う覚悟で生きてる人は、尊敬してしまいます。
なんちゃって^ ^
では
良き1日を^ ^