以前にもお話しましたが、近年の日本では、死体や臨終に立ち会う機会がかなり減っているそうです。
なので、子供達の死のイメージは作られたゲームや映画・テレビの中で出来上がる。
葬式に立ち会ったとしても、キレイになった状態しか目にしない。
この事が日本に与えている影響はかなり大きな物になっているかもしれません。
問題としては、自分が死ぬ事を想定していない。
そんなの世界中そうでしょう?と思うかもしれませんが、家族があの世に旅立とういう時に、その別れよりも仕事を取る国は少ないのでは無いのでしょうか?
毎日考える事では無いです。
ただ最低でも一生に何回かは、考える事をオススメします。
元来、毎週の様にご近所さんで亡くなっている所も多いと思いますが、それでも死体は見たことが無いと言うのが子供の大半では無いでしょうか?
他の国では死は、旅立ちであり、出来る限り、みなで見送ろうと言う国の方が多いと思います。
そういった国では、臨終のたびに経験を積むことが出来ます。
その度に、真剣に人生を考えます。
一度しかない人生を。
日本に欠けている物はコレです。
自分が、日々寿命へのカウントダウンをしながら生きている事を忘れ、大事にするべき事柄を捨ててまで、人生を生きてしまう。
病気になるような生き方をしながらも、病気になれば「まさか!」と思ってしまう。
経験が多ければ、健康に気を配れる。
人生の価値観も様々です。
細く長く生きる。太く短く生きる。どちらを選択するのも自由です。
しかし、死を想定できない人は不自然に、太く長く生る事が当然の事の様に考えてしまう。
どちらにせよ、人は生まれたからには死んで行きます。
自分の人生を作るのは、自分にしか出来ません。
笑える死に方。
見送ってもらえる死に方。
惜しまれて死ぬ死に方。
その反対も沢山有ると思います。
それを見ることも一つの勉強です。
断末魔を上げて死ぬ方。
孤独死。
やっと死んだかと思われる死に方。
自分の人生の終わり方を、自分次第で変える事が出来ます。
それすら出来ない不慮の事故も有ります。
それも、想定すべきです。
どう終わりたいのか考える事で今日も変わるのでは無いでしょうか?
人間は自然の一部です。
自然に考えれば、誕生して死する事は極自然な成り行きです。
それを、影響が良くないとかで?見せないのは、不自然な事を教えている事になります。
「死ね!」と簡単に言える人は、死と直面した事が無い方が多い。
それは、臨終を知らないから。
頭の中だけでは想像できない。
感じる事でしか、体験できない事の一つが臨終だと思います。
※最後に、自分の患者さんには幅広い年齢層の方や疾患の方、環境の方がご覧になられています。
タイミングの悪いブログ内容かもしれません。
不快に思われた方には、本当に申し訳有りませんでした。